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地球上で生物が誕生したのは、約38億年前といわれています。
最初の生物は単細胞と考えられており、その後にこれも単細胞の真正細菌と古細菌が誕生しました。
それから生物は絶え間ない進化を経て、今に至っています。
この間、驚くべきことに最初の生物から私たち人類に至るまで、
38億年にも渡って脈々と受け継がれているものがあります。
それがセントラルドグマ、遺伝情報がDNAからmRNAへと転写され、
mRNAからタンパク質へと翻訳される原則です。
植物や動物、単細胞あるいは多細胞の別を問わず、
およそ地球上の生物は、すべてセントラルドグマに従っています。
では、セントラルドグマは、どのようにして成立したのでしょうか。
これは生命の起源につながる問いです。

運命を分けるスイッチ

ヒトのゲノムは少し前まで、その98%が何の役にも立たないゴミ扱いされていました。けれども、ずっと大切に受け継がれ続けてきたものには、やはりそれなりの価値があることが明らかにされつつあります。
では、2%の遺伝子については、どれだけの事実が明らかにされているのでしょうか。割合でみればわずか2%とはいえ、遺伝子は数にすれば約2万2000もあります。この遺伝子をONやOFFにする仕組みについても、新たな事実が相次いで発見されています。なかでも注目されているのが「エピジェネティクス」。遺伝子の塩基配列そのものは変わらなくとも、その発現の仕方が変わる、つまりスイッチの入り方が変わる仕組みです。

飢餓の冬に生まれた子どもたち

遺伝子関連のテーマで、いま最も注目したいのがエピジェネティクスですね。遺伝子の発現は環境によって変化し、しかもその変化が次の世代へと受け継がれていく。獲得形質が遺伝するとなれば、かつて否定されたラマルクの考え方の復活になるじゃないですか。

とはいえ実は遺伝以外の要因が次の世代に影響を与えた事例は、早くから知られている。DOHaD(Developmental Origins of Health and Disease=胎児リプログラミング)仮説と呼ばれていて、第2次世界大戦中にオランダで起きた飢饉の影響を調べた結果から提唱された考え方だ。出生前と出生後早期の栄養状態が、その子どもの成長後の肥満を左右する。具体的には、妊娠中の母親が飢饉にさらされたために子宮内で低栄養だった子どもは、成長後に肥満になりやすいとされる。

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/934222/

胎児のとき低栄養にさらされた子どもには、一体何が起こってるんだろうか?おそらく胎児は、限られた栄養を最大限に活用しようとしたのではないか、というのが私の考えなんだ。具体的には、体のシステムが、エネルギーを効率よく取り込むように変化したのではないだろうか。そうしたお母さんの体の中にいたときの変化が生まれてからも維持されて、普通の人よりエネルギーの吸収効率が良くなったのではないかと推測しているんだけれどね。

オランダが飢饉に陥った時代に生まれた子どもたちに共通する症状、ということは、その世代の人たちの遺伝子に対して飢饉が、何らかの共通の影響を与えたと考えられるわけですね。

そのような遺伝子に対する後天的な影響について考えるのが、まさに「エピ(=後にを意味するギリシア語)」+ジェネティクス(=遺伝子学)、後天的な遺伝学というわけだ。ポイントは遺伝子のコード自体に変化はないが、環境の変化によって遺伝子のスイッチが変わる点にある。このスイッチはオン/オフの切り替えが可能で、しかも最近の研究でこの変化が子供へと遺伝するケースがあることもわかってきているんだ。

 

 

宇宙に行くとスイッチはどれだけ変化するか

エピジェネティクスの研究で有名なのが「The NASA Twins Study」だろう。たまたまNASAに一卵性双生児の宇宙飛行士がいた。一卵性だからもちろんDNAは同じ、では2人のうち1人を宇宙空間に送り込めば、遺伝子にどのような影響が及ぶのか調べてみようとなった。実際に双生児の弟を340日間にわたり宇宙で生活してもらった結果は、実に驚くべきものだった。

https://www.science.org/doi/10.1126/science.aau8650

その論文は読んだことがあります。宇宙空間で起こった変化として、体重減少、テロメアの伸長、ゲノムの不安定化、免疫および酸化ストレス関連経路におけるDNAメチル化の変化、腸内細菌叢の変化、眼球構造の変化などが挙げられていましたね。

この宇宙飛行士、ケリー兄弟の研究に関しては、弟のスコット・ケリー氏が宇宙に行ったわけだが、地球に帰還後の追跡調査もやっている。一般に無重力空間で長期間過ごすと骨密度が低下する。また宇宙では放射線を強く浴びるために、骨形成やDNA修復に関わる遺伝子活性が変化する。さらに、スコット氏については、ミトコンドリア遺伝子や免疫系遺伝子の活動も変化していた。一連の変化は宇宙空間で起こったことが、地球に残っていた兄のマーク・E・ケリー氏との比較によって明らかになっている。

https://news.weill.cornell.edu/news/2019/04/astronaut-twins-study-yields-new-insights-algorithms-and-portable-dna-sequencing-tools

たしか、宇宙空間滞在によって引き起こされた変化の多くは、地球帰還後に一定の時間が経てば、元に戻ったそうだね。でも元に戻らないものもあったと聞いているよ。

そのとおりでレポートによれば一部、たとえば認知機能の低下、DNAの損傷、T細胞活性化の変化などは継続して残ったらしい。

持って生まれたDNAが同じ一卵性双生児は、環境要因の遺伝子ON, OFFへの影響を調べるのに格好の対象ですよね。いろいろな研究がありますが、肥満、喫煙、運動不足と、テロメアが短くなることに相関があるとの報告に興味を持ちました。一卵性双生児の白血球を用いた研究結果です。

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1474-9726.2006.00222.x

同じ遺伝子を持って生まれてきた双生児でも、その後の環境によって運命は変わる。ということは、意図的にどのような環境を構築するかによって、運命を変えることもできるわけだね。

自分自身の運命はもちろん、子どもをつくる前であれば、やがて生まれてくる子どもの未来に何を受け継いでいくのかも、ある程度はコントロールできる。そうですよね?

 

ラマルクについて

テロメアについて

 

 

エピジェネティクスは遺伝する

エピジェネティクスの原理を確認しておくと、要するにDNA自身やDNAが巻き付いているヒストンというタンパク質の変化だ。とくに早くから知られているのがDNAのメチル化だ。DNAのメチル化がプロモーターとよばれる遺伝子のON, OFFを制御している部分に起こると、その遺伝子はOFF状態になる。

DNAのどの部分がメチル化されるかといえば、いわゆるプロモーターのところ、つまり遺伝子を使うか使わないかを制御している部分だ。もう少し詳しく説明するなら、メチル化とはDNAでCGが繰り返される部分(CpG)のCにメチル基-CH3がつくこと。こうしてプロモーターがメチル化されると、その遺伝子は使えなくなる。つまりスイッチがオフになるわけだ。

※左はシトシン、右はメチル基(CH3)がついてメチル化したシトシン

https://ja.wikipedia.org/wiki/DNA%E3%83%A1%E3%83%81%E3%83%AB%E5%8C%96#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:DNA_methylation.svg

 

細胞が分裂してDNAが複製される際には、DNAメチル化も複製される。だからエピジェネティクスは分裂した細胞へと受け継がれていく。このDNAメチル化は受精卵では一度完全に消去されると考えられていた。つまり親の精子や卵子のDNAメチル化は子どもにはつたわらないとされてきたのだけれど、最近の研究では、どうもヒトの受精卵ではDNAメチル化の一部は伝わっていることがわかってきたんだ。

そこで将来生まれてくる自分の子どもに、良い影響を与えるにはどうすればよいのか。そんなテーマのもとにユニークな研究が行われているね。

これによると、6週間の持久力運動を行った後には、精子のDNAのエピジェネティクスが変化していた。それも中枢神経の発達に関する遺伝子への変化がよくみられたらしい。けれども、トレーニングをやめて3カ月も経つと元に戻るとある。

https://clinicalepigeneticsjournal.biomedcentral.com/articles/10.1186/s13148-018-0446-7

ここからは仮定の話になりますが、トレーニングを開始して6週間後に受精すれば、エピジェネティクスが遺伝すると、そんな可能性があるわけですね。

この研究では、そこまでの追跡調査はやっていないようだね。実際問題として、父親が子作りの前だけトレーニングをするというのは難しいかもしれない。とはいえたとえば結婚をキッカケとして、有酸素運動をして体を鍛えれば、生まれてくる子どもに良い影響を与えられるかもしれないね。エピジェネティクスの親から子への遺伝についてはまだまだわからないことが多いけれど、大事な研究分野として益々発展していくと思うよ。

 

 

スイッチは自分で切り替えられる

肥満は家系といった話があるじゃないですか。確かに太る体質は遺伝するようで、遺伝要因はだいたい6割ぐらいといわれていますね。

肥満遺伝子として知られているのがFTO(Fat-mass and obesity-associate)で、これは脳の視床下部の報酬中枢で発現する。FTO自身、非常に面白い遺伝子で、DNAではなくRNA のメチル化を制御して、遺伝子の働きをコントロールしているんだ。だからといって肥満関連の遺伝子を持っていれば、必ず太ってしまうのかといえば、決してそんなことはない。たとえばFTOなどの遺伝子のスイッチを、エピジェネティクスでオフにできるわけだ。FTO遺伝子は誰もが持っているけれど、運動していれば遺伝子の影響を30%ぐらい抑えられるという研究結果もある。

https://journals.plos.org/plosmedicine/article?id=10.1371/journal.pmed.1001116

運動の効果は大きいね。FTO遺伝子の影響は、たとえば登山、ジョギング、ウォーキング、エクササイズウォーキング、ダンス、ヨガと6つの運動を長時間行うことにより弱まるのがわかっている。

なかでも定期的なジョギングが、肥満遺伝子のスイッチを切り替えるのには、最も有効なようだ。

https://journals.plos.org/plosgenetics/article?id=10.1371/journal.pgen.1008277

 

手軽なエピジェネティクスとしては、サウナもおススメだ。サウナに入ると長寿遺伝子FOXO3が活性化する、その結果がいわゆる「整う」状態になる。サウナが死亡率低下と関連があるとの報告もある。

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/25705824/

運動、サウナ、ほかにも遺伝のON OFFを切り替えるスイッチは、いろいろありますよね。遺伝の影響が大きいのは明らかだけれど、だからといって遺伝だけで自分の寿命が決まるわけじゃない。しかも変えることのできるのは自分の寿命だけではなく、子どもたちや孫の寿命まで変えられる。そう考えると、日々の過ごし方がとても大切に思えてきますね。

 

 

ハヤモンの心の中にわいた疑問

遺伝子によって決められている部分がある一方では、エピジェネティックのように決められている遺伝子を変えられる可能性もある。生命の不思議さは、1つ新しく何かがわかると、そこからさらに次の謎が広がっていく。だから研究が面白くてやめられないわけでもあるけれど。

 

<用語集>

ラマルク

獲得形質の遺伝を主張したフランスの植物学者、生物学者。個体が一生の間に外界の影響や器官の使用、不使用によって獲得した形質は、次世代に遺伝する場合があると説いた。

テロメア

真核生物の染色体の末端部分にあり、染色体を保護する機能を持つ。テロメアが短くなると、細胞は分裂できなくなる。加齢に伴ってテロメアは短くなるため、寿命にも関わりがあると考えられている。

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