痛いのなんてヤダ

タケGって、毎朝同じことやってるね。


巻き藁(わら)稽古のことかね。


名前は知らないけれど、拳(こぶし)を叩きつけてるじゃない。あんなことして痛くないの?


今は痛くないな。


今はっていうことは、痛かったこともあるの?


そりゃ稽古を始めた頃は痛かったよ。硬いものに手を握ってぶつけるわけだからね。慣れるまでは痛くて仕方なかったし、最初は手の皮がボロボロになった。


今は大丈夫なの?


拳ダコができると痛みはなくなる。


一体、どんな手してるの。ちょっと見せて…。うわっ、なにこれ。人差し指と中指の付け根のところがガッチガチに固まってるじゃない。


そういわれるとちょっと困るけれど。でも、これのおかげで拳が自分を守ってくれると思える。


じゃあ、タケGはどこを叩かれても痛くないの。


そんなことはない。痛みを感じなくなったら、それこそ大変だ。


そうかな、痛いの痛いの飛んでいけっていうぐらいだから、痛みなんかないほうがいいと思うけどな。


世の中には生まれつき、痛みを感じない人もいるらしい。確か先天性無痛無汗症という病気だよ。


痛みを感じないのが病気なの?


そうだよ、それもけっこう怖い病気だ。例えばカホちゃんが転んで足のどこかにケガをしたとする。そんなときカホちゃんはどう感じる?


そりゃケガにもよるけど、まあ痛いよね。痛いから、何とかしなきゃって思うかな。


ところが、ケガをしているのに痛みを感じなかったらどうなる?


う〜ん、痛くないからいいってことではなさそうね。もしかするとケガをしていることさえわからないかもしれない。ということはケガをしても放っておくから、ひどくなる可能性があるね。

五感がなくても生きていける

お母さん、今朝タケGに無痛なんとかって病気のことを教えてもらったの。ケガをしても痛みを感じない病気なんだ。


先天性無痛無汗症のことね。


この間から五感についていろいろ教えてもらったでしょう。人が生きていくために、五感って本当に大切なんだね。


でもね、世の中には眼や耳が不自由な人もいるのよ。わかるよね?


眼の不自由な人は、白い杖を持っているんだよね。でも、耳の不自由な人は、ひと目見ただけではわからないかも。


耳の不自由な人と話をする手段があるじゃない。


あ!手話のことね。身振り手振りと、口を話しているように動かして、ことばを伝えるんだよね。


じゃあ、もし眼も耳も不自由だったとしたら、どうなるかな。


う〜ん、想像もできないな。何も見えなくて、何も聞こえないわけでしょう。どうなるんだろう。


ヘレン・ケラーという人のことを聞いたことはないかな。


ある!そうだヘレン・ケラーって、眼と耳が不自由なのに大学を卒業して、体の不自由な人を助けるための活動をした人だよね。たしか話もできなかったんじゃなかったかな。最初は、手のひらに指で字を書いてもらって覚えたとか。そうか、眼と耳が不自由でもことばがわかるようになるんだ。


ベートーベンは知ってる?


すごい音楽家だよね。たしか毎年、年末になるとみんなが合唱する『歓喜の歌』をつくった人でしょう。


そのベートーベンは難聴、つまり耳が聞こえにくかったそうよ。


うそぉ~。それで、どうやって曲を作っていたの?


口にタクト、オーケストラの指揮者が振る棒のことね、そのタクトをくわえてピアノにくっつけるの。そしてピアノの鍵盤を押すとピアノが振動するよね。音による振動の違いを歯で感じて、記憶を頼りに音符に変えていったんだって。


音を耳で聞くのではなくて、歯で感じたっていうこと?そんなことができるんだ。


五感のどれかが失われても、それをほかの感覚で何とか補って生きていくんだ。人間って、すごいよね。

感覚とことばを通じてわかり合う

※リビングで、自分の腕をつねっているカホ

あいたっ!やっぱり痛いわ。でも、こうやって痛みを感じられることを喜ばないといけないな。


何やってるんだ?


お父さんとお母さんに感謝してたの。私に痛みを感じる力を与えてくれて、ありがとうって。


タケGに先天性無痛無汗症について教わったというから、ヘレン・ケラーやベートーベンの話をしたんだよ。


なるほど。五感の大切さを改めて理解したというわけか。まあ、生きているということは感じることでもあるからな。


ヘレン・ケラーは眼も耳も不自由だったけれど、それでも人と話をできたわけでしょう。ベートーベンは、耳が不自由なのに音楽をつくることができた。それなら、私はどれだけ幸せなんだろうって、つくづく思ったの。


感じることの大切さがわかったのなら、人といる意味もわかったんじゃないか?


どういうことかな?


前にコウモリの話をしただろう。超音波の力を使って、仲間や洞窟の壁とぶつからないように飛んでいるって話。


覚えている。あのコウモリたちも、仲間と話をしているんだよね?


話といえないこともないけれど、いま私とカホがこうして会話しているのとは、かなり違うと思うよ。


??


カホは、タケGの犬と話をできるかな?


それは無理よね。


じゃあタケGの犬は、ほかの犬と話をできるだろうか?


どうなんだろう。ときどきタケGの家の前を、ほかの犬が散歩で通りがかったりすると、いきなり吠えたりしているけれど。あれは、話をしているのかな?


少なくとも、いまカホがお父さんと話しているような会話のやり取りとはいえないんじゃないかな?


でも、例えばカラスたちがゴミをあさっているじゃない。何羽も一緒のところを見ると、何か通じ合ってはいるような気がするけれど。


あれもコミュニケーションの1種ではあるだろうね。でも、人間のようにことばをやり取りしているわけではないと思うよ。ごく簡単なことばは、動物たちでも理解できるようになるようだけれど、人間のように複雑なことばを使いこなせる生き物は、地球上には人間しかいないから。

五感の衰えと保ち方

※再びタケGの庭で稽古している姿を見つめるカホとライフくん

タケGは、いつも元気そうだね。


そう見えるかね、それはありがたい話だけれど、実際はそうでもないよ。


どこも悪いようには見えないけれど。


少なくとも眼は悪いな、いわゆる老眼というやつだ。近くの小さな文字が見えなかったりする。耳も少し聞こえにくくなっているようだ。


ほんとうに?


ほんとうだとも。そういえば味覚も前に比べれば衰えているかもしれないな。大好きだったおすしを食べても、前ほどおいしいと感じられなくなっているような気もする。年をとると、いろいろ感覚が鈍くなるのは仕方がないことだ。


え~っ、そんなのやだな。


もちろん、できるだけ鈍くならないように心がけてはいるがね。


そんなことできるの?


たとえば、毎日少しの時間でも空手の稽古を続けるのもその1つだな。毎日、同じ動きを繰り返すことで、動きの違いを感じ取れるようになる。座禅を組んでじっと座っているのは、感覚を研ぎ澄ませる訓練にもなるからな。

※家に戻ってユッキーと話すカホ

タケGは、感覚が鈍くならないようにいろいろ努力しているそうだよ。


そうなんだ。でもお父さんも、そしてもちろん私も感覚についてはいろいろ心がけているよ。もちろんカホにもね。といってもカホの場合は、まだ鈍くなるのを防ぐ段階じゃなくて、今は感覚をどんどん鋭くするときだと思うけれど。


感覚を鋭く、そんなことできるの?


食べるもの1つとっても、いろいろ気を使ってるよ。できるだけ旬の新鮮な素材を使うようにしているでしょう。あと、ときどきキャンプに行くのには、自然を感じる目的もあるかな。音楽のCDをかけたりするのもそうね。感覚ってね、使えば使うほど磨かれていくんだ。だから、いろいろ感じることが大切なんだよ。


なるほど。じゃあ、早速今日のご飯から、どんな味がするのかをしっかり味わった食べるようにするよ。


それは私に対するプレッシャーね(笑)。でも、食べるものって、五感を鍛えるのにとてもよい道具にもなるの。見た目がきれいだとおいしそうでしょう。口に含んだときの舌触りも、あるいはかんだときの音も、もちろんニオイや味が大切なのはいうまでもないよね。


視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。確かに食べるときって、全部使ってるね。ご飯を食べるって、ほんとうに生きるために、とっても大切なんだ。

・人間は五感が欠けていても補う力を持っているらしい
・五感は、年をとると衰えるのか

カホちゃんのギモン シリーズ