エネルギーを生み出す発電機
そりゃ、ここは最先端の研究設備だからね。NOMON研究所は、不老長寿の研究をしてるんだよ。そんなことより、ドクターケイに聞きたいことがあるんじゃないの?
そうそう、この間、図書館で本を読んでいたら「ミトコンドリア・イブ」の話が書いてあったよ。16万年ぐらい前にアフリカにいた女の人が、私たち人類の祖先なんだって。それって本当なの?
そういう説もあるというところかな。人類の祖先がアフリカにいたらしいことは確かだけれど、アフリカだけじゃなくて別のところにも人類の祖先はいたといわれている。
とにかくミトコンドリアって、ドクターケイがこの間教えてくれた、細胞の中でエネルギーをつくり出しているところでしょう
(※対話篇第4話参照)
細胞内小器官といってね、細胞の中にある一定の構造と機能を持つ複合体だ。小器官はミトコンドリアのほかにも小胞体やゴルジ体などがある。ところでミトコンドリアの実物を見たくないかい?
動物細胞の模式図
一体、どうして細胞のようにミクロ単位の小さな組織が、こんなに複雑な構造をしているんだ?
えっ!見れるの。
電子顕微鏡があるからね。のぞいてごらん。
※https://www.st.keio.ac.jp/education/learning/1907.html
なにこれ!何がなんだか、さっぱりわかんない。
まあ、初めて見るのだからわからないだろうね。外側にあるのが外膜、内側にあるひだのようなのが内膜、その内側をミトコンドリアマトリックスというんだ。外膜と内膜の間の隙間のグニャグニャしているところが膜間腔で、それぞれ大切な役割があるんだ。
ミトコンドリアの構造
なかでもいちばん大切な役割がエネルギーをつくること。
エネルギー源になるのは食べものだ。食べたものが消化酵素で細かく分解され小腸で吸収され、ブドウ糖などの形で細胞へ送り込まれる。そして細胞内でピルビン酸に変換され、ミトコンドリアマトリックスの中に入る。そこでピルビン酸が分解され、水素イオン(H+)や電子が放出されるんだね。
放出された水素イオンはいったん膜間腔に出される。すると何が起こるか。
膜間腔のH+濃度がマトリックスのH+濃度より高まる。つまり電気化学勾配ができる。すると膜間腔のH+は濃度の低いマトリックスに戻ろうとする。そのとき内膜に組み込まれたATP合成酵素を文字通り回すんだ。ATP合成酵素が水車の羽根のようになっているところを、H+が通ることで羽根を回すイメージだね。この回転運動によってADP(アデノシン二リン酸)がリン酸化されてATP(アデノシン三リン酸)ができる。
この電気化学勾配を発見したピーター・ミッチェルは1978年、モーターのような回転運動を証明したポール・ボイヤーは1997年に、それぞれノーベル化学賞を受賞している。
私には難しすぎてよくわからないけど、ミトコンドリアの研究ってノーベル賞を取れるんだ。すごいね。
https://www.kyoto-su.ac.jp/project/st/st11_06.html
H+が動いてモーターを回すっていうけれど、水素原子って1番小さな原子じゃないか。それなのにどうしてそんなことができるんだ?
ミトコンドリアはどこから来たか
なにしろミトコンドリアのおかげで、人間も含め生物は生きていられるわけだからね。それなのにミトコンドリアは細胞内の小器官、つまりめちゃくちゃ小さいから、そのメカニズムはなかなかわからなかった。前にも説明したようにミトコンドリアの起源は、細菌の1種αープロテオバクテリアだ。これを古細菌が取り込んで共生するようになった結果、真核生物が誕生した。そのミトコンドリアは細胞の中にあり、しかも独自のDNAを持っている。とはいえミトコンドリアは当初持っていたDNAの多くを細胞核へ渡してもいる。これにより細胞とミトコンドリアが連携活動できるようになったんだ。
ということはミトコンドリアって、細胞の中にいる別の生き物みたいなものなの?
そのとおり。そして植物がまたよくできている。動物と違って植物の細胞の中には、ミトコンドリアのほかにもう1つ、細胞そのものとは別のDNAを持つ小器官がある。植物が光合成をするためには、何が必要だったかな。
小学校では、そこまでは習ってないかな。
そうか。光合成をするために必要なのが葉緑体で、これも細胞自体のDNAとは違う独自のDNAを持っている。
そこで1967年に提唱されたのが細胞内共生説、要するにミトコンドリアや葉緑体は、もともと独立した「いきもの」だったという考え方だね。ミトコンドリアの起源はα-プロテオバクテリア、葉緑体の起源はシアノバクテリアだ。いずれも独自のDNAを持ち、自ら増殖する生物、単細胞の真正細菌だった。その生物が、別の生物の中に取り込まれた。
えっ! それってもしかして、私のお腹の中にいるっていう腸内細菌と同じ話なの?
この子は、ほんとに勘が鋭いね。ただしミトコンドリアと腸内細菌は違うんだ。なぜなら人の体の中にいる細菌たちは、人の細胞の中にいるわけじゃない。口の中から食道、胃、腸とつながっていく管の内部は、人の体の中にあるけれども、体の外部とも考えられるからね。細胞内共生は腸内細菌とは違って、大きな単細胞生物が小さな単細胞生物を取り込んで始まったと考えられている。ミトコンドリアや葉緑体の祖先となるα-プロテオバクテリアやシアノバクテリアが、別の細菌おそらくは古細菌に吸収されて真核生物が誕生したと考えられている。
ミトコンドリアのない細胞、例えば赤血球や水晶体では、どうやってエネルギーがつくられているんだ?
細胞の新陳代謝
ミトコンドリアがエネルギーをつくる細胞内小器官で、大昔には別の生き物だったという話は、具体的にはイメージできないけどなんとなくわかったよ。そこで質問があるの。もし、ミトコンドリアがエネルギーをつくれなくなったらどうなるの?というか、私の体には37兆個の細胞があるんだよね。その細胞は、私が生まれてからずっと生き続けているの?
カホちゃんは新陳代謝って聞いたことないかな?
シンチンタイシャ?
体の細胞は、毎日入れ替わっているんだ。具体的には、毎日かなり多くの細胞が失われると同時に、失われた分だけ新しく細胞がつくられている。
ということは、細胞の数そのものは変わらないってこと?
そのとおり。たとえばお風呂に入って皮膚をこすると「あか」がとれるだろ?
つまり体を洗うんだよね。
あの「あか」は死んだ皮膚の細胞だ。これが「表皮」という部分なんだけど、その下側には生きた細胞がぎっしり詰まっている。
http://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/pdf/celllife.pdf
私のこの腕も、そうなってるのね。じゃあ、どうして細胞は死ぬの?
たとえばカホの体が精密な機械だと考えたらどうなる?
37兆個も部品があるなら、そのうち壊れる部品もありそうね。なるほど、だから壊れた部品を入れ替えるように、細胞を入れ替えるわけだ。
細胞によって有効期限がだいたい決まっている。腸管の上皮細胞、腸の中の細胞の1種などは2日ぐらいで入れ替わっている。体中の細胞は数年で全部入れ替わるといわれている。入れ替わるときには細胞が死ぬ。そして細胞が死ぬのにもミトコンドリアが関わっている。細胞の死に方はいろいろあるけれど、代表的なのがあらかじめプログラムされた「アポトーシス」とプログラムされていない「ネクローシス」だ。
アポトーシスを引き起こすミトコンドリアの2面性
https://www.jmedj.co.jp/premium/immuno/data/immuno039/
ネクローシスにもいろいろな様式があると最近わかってきたのだけれど、まあ簡単にいうと、事故死みたいなものかな。細胞が熱とか酸とか、何かにひっかかれて傷をおったりして、死んでいく。細胞の中身をあたりにまき散らしてしまうような死に方なんだよ。
だから体の具合が悪くなるんだね。じゃあもう1つのアポトーシスはどうなの?同じように細胞は死ぬのに、体の調子が悪くなったりしないの?
もちろん悪くなったりしない。アポトーシスとは、決められた計画に従って、古くなった細胞が死んで、新しい細胞と入れ替わる儀式のようなもの。だから体にとってはまったく正常な作用だ。むしろ体を健康に保つために、細胞が自ら死んでいくといってもいい。そしてアポトーシスにもミトコンドリアが関わっている。
シトクロムcの話か。
そう。細胞がある種の刺激を受けるとミトコンドリアからシトクロムcと呼ばれるタンパク質が放出される。これがアポトーシスを引き起こすスイッチの働きをする。スイッチが入るとネクローシスとは逆に細胞が縮んでいき、最後は小さくなる。この小さく縮んだ細胞は、まわりの細胞に取り込まれたり、マクロファージと呼ばれるそうじ屋さんのような細胞に食べられてしまう。
マクロファージは白血球の1種だからね。体の中の余計なもの、この場合だったら細胞のカスをうまく処理してくれるんだ。
要するに細胞の中でエネルギーをつくって細胞を生かしているのがミトコンドリアなら、寿命になった細胞をまわりの細胞に迷惑にならないよう死なせてくれるのもミトコンドリア、というわけね。
それほど大切な役割を果たしてくれているミトコンドリアだけど、最初から細胞の中にいたわけじゃない。大昔は、別の生き物だったというのが不思議だね。
<用語集>
ミトコンドリア・イブと人類の祖先
約16万年前にアフリカにいた女性が、現在の人類の祖先だという説がある。1987年、アメリカの研究者グループが、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、オーストラリア、アメリカの147人のミトコンドリアDNAを使った調査を行った。その結果、この147人がアフリカにいた1人の女性の子孫であることが判明した。そこで、この女性がミトコンドリア・イブと呼ばれるようになった。もちろん今では人類の祖先が、ただ1人の女性に行き着くとは考えられていない。
ピルビン酸
生体内での解糖系‐TCA回路における重要な中間体。脂質、アミノ酸、たんぱく質、ATPなどの生合成、代謝、及びアルコール発酵などに関与する。
マクロファージ
全身の組織に分布し、死んだ細胞や体内に侵入した細菌などの異物を捕食して消化する。
なんか、すごくない?ていうか、めっちゃかっこよくない?NOMON研究所って、なんかいい感じ! ここってどんな研究してるの?